持っているCDの紹介② 好きなアーティスト
3 スピッツはファンクラブまで入ったが…
スピッツ「若葉」(2008)
スピッツ「醒めない」(2016)
前回は自分の音楽への入り口を紹介した。そして今回は音楽を聴き始めて実際にハマった結果買ったものを紹介したい。
音楽をちゃんと聴き始めた時にまず考えたのは,何か軸になる古典みたいなのを聴かなきゃいけないということだった。やっぱり中学二年生だったので,最近のアーティストばかり聞くのはミーハーだと思ってたし,なんとなく由緒正しくありたかったのだ。そうは言っても親父の聴いてるビートルズや井上陽水は正直よくわからなかった。
そこで出てくるのが前回のNICOのラジオで,スピッツの新曲が出るという話をしていた。さすがに「チェリー」くらいは知っていたが,正直な話,彼らの年齢もわからなかったので,まだバンドが続いているのかと驚いた。当時の僕の「チェリー」に対する認識はKANの「愛は勝つ」,三木道山の「Lifetime Respect」レベルの一発屋ソングだった(ちなみに,二人ともまだ音楽活動はしている。三木道山は「DOZAN11」に改名)
それから調べてみると,古田敦也の出てたフジカラーのCMの「正夢」や,北島康介の出てたアクエリアスのCMの「春の歌」やら知ってる曲がたくさんあることに気が付いた。そうやって聞いているうちにはまっていった記憶がある。当時は約25年目くらいで,さすがに古典とまではいかなかったが,まあちょうどよかった。
そんなわけで,新曲の「つぐみ」が発売されたころにうちの近所のCDショップに行った。ところが,地元のCDショップはHMVでもタワレコでもないザコCDショップだったので,1週間たったら「つぐみ」は店頭から消えていた(そこに転がっていたのが「携帯電話」だったりする。)
大学に入って,バイトが安定してからはファンクラブにも入った。入って二年目に運よく不定期のファンクラブイベントライブが開催された。あまりライブではやらないレア曲が放出されたり,楽曲の人気投票があったりとなかなか盛り上がる。僕もワクワクしてライブ会場に足を運んだ。ところが,着いてみると,そんな無垢な大学生は見る影もなく,僕の周りは草野マサムネと同世代のワーキャーマダムとオジしかいなかった。会場に居心地の悪さを感じた僕は「何が由緒正しいだよ」と思った。
4 スガシカオは好きだがCDは買って後悔した。
ちなみに「黄金の月」は100円でワゴンの中に突っ込まれてたのを拾い上げてきたもの。
時代を行ったり来たりするが,高校では,スガシカオにハマった。スピッツと似たような理由だが,「Progress」の一発屋だと思ってたところ,「夜空ノムコウ」や「Real Face((作詞のみ)といった有名な曲もスガシカオが手掛けていることを知って興味を持っていた。
「Progress」「午後のパレード」のような爽やかなイメージとは裏腹に,「AFFAIR」や「甘い果実」みたいに鬱屈した曲もあるのが受験期に聞くのにちょうどよかった。
www.youtube.comこれまた大学の時にバイトの収入が安定してからアルバム「THE LAST」を買った。このアルバムはスガが長年所属していた事務所オフィスオーガスタから独立,しかし,インディーズでの活動が上手くいかず,再度メジャー契約して,再起を賭けたものだったようだ。タイトルからもわかる通り,このアルバムを最後のアルバムにする気持ちで作ったらしい。言ってることは小学校の先生みたいだが,生前葬のようなものだと言われればまあわかる。そのうえ本人曰く,最高傑作。買わない手はなかった。ところが,ミスチルのプロデューサーをやっていた小林武史がプロデュースをやっていたのがあまりよくなかったのか,個人的にはスガシカオに求めているものじゃない感じがして結構後悔している。村上春樹が書いたライナーノーツがついているのでこれを3000円と見れるか,いや…
次作の「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」はスガシカオ節が炸裂しているのでますますなんだったんだろうかという。
ちなみに「3月のライオン」の作者,羽海野チカはスピッツとスガシカオが好きで,彼らのアルバム「ハチミツ」と「クローバー」から取って,「ハチミツとクローバー」を描いたらしい。残念ながら「3月のライオン」はおろか「ハチミツとクローバー」もほぼ読んだことがない。
5 亡くなってから知ったフジファブリック
フジファブリック「SINGLES 2004-2009」(2010)
僕は生きてます。ボーカルの志村正彦が2009年のクリスマスイブに亡くなった。
その翌年の12月,我が家にケーブルテレビがやってきた。残念ながらスポーツや映画に興味が薄かったので,当然かじりついたのは音楽チャンネルだった。特にスペースシャワーTVはテレビにあまり出ないアーティストが好きな中高生を狙い撃ちするようなチャンネルだったので,それはもう土手に捨てられてるエロ本くらい見た。いや,土手に捨てられてるエロ本を夢中で読んだことはない。なぜならうちの近所に土手がないからな。
たしかその年の12月23日,男子校の僕はクリスマスに無縁だったので,やっぱりスペシャを見ていた。日付が変わってそろそろ寝るかと思っていた時に,突然始まったのが「志村正彦追悼 フジファブリックPV特集」という番組だった。フジファブリックって名前は聞いたことあったけど結構年配のバンドだったのかと思ってた矢先に目に飛び込んできたのは
青年だった。さすがに中学二年生で人の死に直面したことはなかったので軽く衝撃を受けた。享年29歳だった。
衝撃を受けたのは早逝だったこともあるが,もう一つ,シンプルに楽曲の良さが初見でわからなかったということもある。上に貼った「銀河」を見て,単純に歌い方がロックバンドっぽくないと思ってしまったのだ。とはいえ,亡くなってこれだけ話題になるバンドなんだからきっと良いバンドなんだろうなと思い,ベスト盤を買った。それを何度も聴いているうちにいつのまにかハマっていた(それ以上に弟がハマってしまって前回の冒頭の話にもなってくる)。今思えば,2004-2009が志村がメジャーデビューしてから亡くなるまでの年月を意味するのでちょっと悲しいタイトルにも感じる。
よく,フジファブリックについて話す時,志村正彦が亡くなるまでにフジファブリックを知っておきたかったという話題になるが,おそらく僕の場合は仮に知っていたとしても,志村正彦が亡くなるまでは聞かなかっただろうなというのが正直な感想だ。