【読書感想文】 伊坂幸太郎『逆ソクラテス』 

※若干のネタバレあり。

久しぶりに小説を読んだ

小学校のころは『ダレン・シャン』だの『はてしない物語』だのぶ厚い小説を読んでいた記憶があるので,多分小説は好きだったはずだ。

もっといえばセンター試験でも物語は得意だった記憶があるので,少なくとも高校生までは小説をちゃんと読んでいたはずだ。

しかし,最近は小説を読んでいないし,読む気もしない。なぜか。それを探るためにはかつて読んでいたけれども読まなくなった手の本を読めばわかるのではないかと考え,高校のころ読んでいた伊坂幸太郎に回帰してみたというのがこの記事。

取り上げる『逆ソクラテス』はちょうど僕が本の虫(?)であったはずの小学校時代をテーマにしていてお誂え向きである。

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1 あらすじ

『逆ソクラテス』は,小学生が主人公の短編が6編収録されている短編集だ。テーマは先入観の逆転。先入観が形成される起点ともいえる小学校を舞台に以下の6つの逆転劇が展開される。

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1 逆ソクラテス テーマ:教師

独善的な教師の久留米(=逆ソクラテス)に落ちこぼれ扱いされる草壁を助けるために様々な奇策を図るなぞの多い転校生,安斎。主人公の加賀は,安斎に共感し,草壁を助けるために奔走する。

2 スロウではない テーマ:スクールカースト

クラスの中心的な存在である渋谷亜矢に仕向けられ,あまりものメンバー4人で運動会のリレーに参加させられてしまう主人公の司。メンバーの中には転校生の高城かれんもいた。懸命に練習する4人を執拗に威圧する渋谷亜矢。実は彼女は高城かれんのある秘密を握っていた…。

3 非オプティマス テーマ:学級崩壊 

覇気がなくまるでうらなりのような新任教師の久保先生。彼の持つ学級はセレブの息子である騎士人(ないと)を中心に崩壊気味であった。彼らのことをよく思わない主人公の将太と毎日同じシャツを薄くなるまで着ている不思議な転校生の福生(ふくお)。二人は騎士人らの悪行を辞めさせるべく画策する。そのさなか,二人は偶然にも久保先生の内情を知ってしまう。

ちなみに「オプティマス」とは,『トランスフォーマー』に登場するサイバトロンの司令官「オプティマス・プライム」のこと。消防車が変形して戦う。

4 アンスポーツマンライク テーマ:更生

 歩たち5人のミニバスチームは,小学校最後の試合,接戦の末,駿介のアンスポーツマンライクファウルによってフリースローを取られ,敗北してしまう。

高校生になった5人は癌に罹患した顧問「磯憲」に会いに行くために小学校を訪れたところ,突然体育館に通り魔が出現する。

5 逆ワシントン テーマ:親子

小学生の謙介は母親から,桜の木を切ったことを正直に言って称賛されたワシントンの逸話を引き合いに正直に生きることの大切さをことあるごとに説かれてきた。

ある日,謙介は,クラスメイトの俊彦と,学校帰りに欠席している靖の家にプリントを届けることになる。彼を出迎えたのは靖の母と再婚した彼の新しい父親だった。

後日,俊彦は靖が新しい父親に虐待されているのではないかと疑惑をかけ始める…。

 

2 伏線の伊坂幸太郎

 伊坂幸太郎の作風の特徴として伏線回収の巧みさが挙げられることが多い。「一緒に本屋を襲わないか?」というキーフレーズでおなじみの代表作『アヒルと鴨のコインロッカー』も,本屋を襲撃して広辞苑を盗むという素っ頓狂な計画の狙いが何かという謎に向かって二年前の事件と現在の出来事が収束していくというスタイルだった。

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一つの謎に向かってさりげない事実も含めて物語が収束していくというスタイルは一見独特に見える。しかし,言ってしまえばテンプレから外れた推理小説,もっというと探偵が登場しないミステリーともいえる。

 

伏線回収は伊坂の代名詞と言われがちだが,『ゴールデンスランバー』のころから伏線を回収するという構成にありがちなご都合主義感を薄め,謎が一部謎のままで終わらせるなどややリアリティを持たせるという形に作風を変え始めている。

小説が大人になると読めなくなる理由の一つとして物語にリアリティがないことが分かってきてしまうということはあると思う。フィクションはフィクションでと楽しめる心の余裕があればそれでいいが,目をつぶることができなければ読書するにも躓きの石だらけということになって苦痛になってしまうのだ。

 

伊坂の路線変更もリアリティの無さに対する批判を捉えてのことだとは思うけれども,「都合」を明示しなくなっただけで,若干その匂いは残る。

『終末のフール』や『チルドレン』といった伊坂の従来の短編集であれば短編の中に共通して登場する人物が出てきたり,ある編の物語の展開が他の編にも影響するなど関連性が明確にあって,バラバラな話なはずなのに気が付けば一括りの小説であるかのように伏線が回収されているというのがお決まりのパターンだった。

『逆ソクラテス』には一見するとほぼそれがない。辛うじて『磯憲』という教師が複数の編に登場するといった程度である。ただ明示されていないものの,一応5編をつながった一括りの小説として捉えることも可能である。時系列順に並べると以下のようになる。

①スロウではない

・高城かれんの字が上手い,いじめを受けたことがあるという設定が,逆ワシントンの謙介の母と一致する。

アンスポーツマンライクに登場する磯憲が新任教師として登場する。

②非オプイティマス

・学級崩壊の原因である騎士人の父親は大企業の有力者。アンスポーツマンライクの通り魔の犯人は有力者の息子で,親のプレッシャーに耐えられなかったことが動機とされている。

③アンスポーツマンライク

・終盤に駿介がユーチューバーからプロバスケットボールの二部に転身することを告白する。そして逆ワシントンでは元ユーチューバーのバスケ選手が日本代表としてプレイしている。

・駿介は通り魔に対し,「いつかプロでプレイするところ,観てくれよ」と告げている。そして逆ワシントンは,家電量販店の店員がその光景を見て涙を流すシーンで締めくくられている。

④逆ワシントン

⑤逆ソクラテス

・物語の終盤に安斎が世間でも大きな話題となった事件の犯人の息子であることが明らかになる。「人の死も関係している」・「長い懲役で社会から離れている」といった表現から可能性は低いがアンスポーツマンライクの通り魔の息子とも考えられる。

理由をつければいくらでもあるが,詳細に語るなら読んだ方が早いということでひとまずこのくらいにしておきたい。ともかく,明示がないものの,小学校という舞台設定以外にも各短編に共通するワードが出てきており,少なくとも伊坂の中には5編を貫く一定のイメージがあるのではないかと思う。

ついでにこの本では登場人物の名前に関する描写がしばしば登場することも指摘しておきたい。

 

3 「ソクラテス」とその逆

タイトルになっている「ソクラテス」。この本での「ソクラテス」は「無知の知」を唱えた哲学者として登場する。まあソクラテスは著作を残していないし,ソクラテスの思想を伝えるプラトンらの本にも「無知の知」と直接書いてはないらしいのだが。余談だけど,YouTubeで「ソクラテス」と検索した結果は結構ひどい。

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ともかく無知の知を諭す存在としてソクラテスが使われることはしばしばある。そしてこの本ではその逆,自分の無知に無自覚な教師を指して「逆ソクラテス」と呼んでいる。

そこまで哲学には明るくないが,知に関する考察をもう一歩進めて,知とは所詮力に支えられているに過ぎないとフランスあたりの哲学者が言っていた気がする。つまり世の中で真理とされているものは世間の多数がそれを真実であると信じているから真理であって客観的な真理など存在しないと。

伊坂が舞台にした小学校は知が成立するパワーバランスのミニマルな形といえるだろう。教師やクラスの中心の言っていることは何となく正しさを帯びている。しかし,実際にはそれぞれの立場が持つ権力に支えられているに過ぎない。「逆ソクラテス」において描かれる知を逆転させる方法はそれが正しくないという反例を毅然と提示することである。

事実を提示するというのがポイントで,逆に教育によってわからせるという解決策は何ら意味を持っていないことも描かれている。「スロウではない」では,新任教師の磯憲がいじめを解決したわけではない。「非オプティマス」では,覇気を取り戻した久保先生の訴えも実は将太らに響いていない。言われた事が直接人を変えることがないという現実もここに表れている。また,時間経過を用いた「スロウではない」や「アンスポーツマンライク」では,教師に教わったという経験自体は人に影響を与えることが描かれている。教わった内容と教わった経験はかなり異なる。

 

4 小学校は人生の伏線?

教えそのものは響かない。知が力によって支えられている以上,それと対立する知の提示だけでは足りず,事実・経験が必要になる。ということを書きたかったとすると,この本の各話のつながりが先に述べたようになるのも一応解釈としてあり得そうな気がする。

オプティマスに出てくる騎士人は人によって態度を変えるなという久保先生の教えが響かず,アンスポーツマンライクでは通り魔として登場してしまう。しかし,逆ワシントンでは家電量販店の店員として登場し,駿介がユーチューバーからプロバスケ選手に転身したという事実に胸打たれる。

騎士人の息子が逆ソクラテスに登場する安斎だとすると,彼が人は見かけによらないという信念を持っていたこともうなづける。彼の父には更生したという事実がある。

まあ似た設定を持つ登場人物を従来の伊坂同様同一人物だと断定はしがたいものの,少なくとも境遇が共通する人間が出てくるので,過去未来が描かれていない登場人物についてもその人物が知と力と経験にどのように動かされて生きてきたかがわかるとは言えるだろう。

 

小学校で先生に教えられている通り生きている気はしないが,先生に教わった経験は記憶に確かにある。物語をたくさん読んでいた小学生時代は,そういった物語一つ一つが先生だったような気もする。あの頃は物語を読むという経験自体が必要だった。それは何が正しいかを判断するためだったのかもしれない。生きていると立場が伴うし,経験も積みあがっていく。人生の選択肢が狭まっていく中で,解釈が多様なリアリティの低い物語は不要と感じるようになったのかもしれない。